広東ゴルファー日記

香港とゴルフが好きな医学生投資家が毎日のことをつらつらと書く日記です。

【医学】なぜ、人を殺めるのは簡単で救うのは難しいのか

こんばんは。広東ゴルファーです。

 

まず、5月28日今朝、川崎市の通り魔によって亡くなられたお二人のご冥福をお祈りさせていただきます。

 

僕は、一応キリスト教徒です。一応というのは両親がキリスト教徒なだけで別に僕は選択していません。

それでも物心ついたときから神様というのはいる、と教わってきましたし、成人した今でも神はいると思っています。

 

なぜ神がいると思うかというと、それは「偶然」の原因が神以外に見つからないからです。偶発性の裏にいるものは運なのかもしれませんが、それを神と呼んでいます。

 

そして、このような痛ましい事件が起き、何の罪も無い人たちが犠牲になるのを知るたびに「神」のせいだと思っています。逆に言えばそう思わなくては理不尽が過ぎるのです。

 

ブラックジャックの話でどんどんと体が小さくなっていく奇病の話があります。

最終的にブラックジャックはその奇病の治療法を発見するのですが、時すでに遅く、患者を救えません。そしてジャングルの中で小さくなった亡骸を抱えて叫ぶシーンがあります。

「神よ、あなたは残酷だ」

 

僕がブラックジャックを読んだのはもう10年以上も前の話ですがこのセリフだけは生涯忘れないでしょう。

 

別に川崎の事件に限った話ではないのです、池袋の暴走も、池田小学校の事件も、これまで起きたありとあらゆる事件には理不尽を感じます。

 

人を2人殺めておいて、自死をして逃げてしまう。これほど残酷なことがあるのでしょうか。僕には呪う資格がありませんが、遺族は、本人は誰を呪えばいいのでしょうか。その気持ちを考えると気が狂いそうです。

 

池袋の暴走の時、一人残された旦那さんの会見を見ました。スマホの前にいながらあれほど無力を痛感したことはなかったです。今回も同じです。僕には何もできなかったのです。

 

治療を担当された医師の方はどうだったのでしょうか。間違いなく、「絶対に助ける」そう思っていたでしょう。そして蘇生をあきらめた瞬間にブラックジャックと同じことを思ったのかもしれません。

 

ふざけるなと言いたい。それだけ簡単に人を殺めることができるのになぜ生き返らせることは不可能で、ぎりぎりの所で救うのすら困難を極めるのか。

 

僕がこの記事を書く原動力は怒りです。

 

なぜ助からないのか、なぜ死ななくてはいけなかったのか。そうなる運命だったとでもいうのでしょうか。じゃあ僕らにできることは何か。もはや地獄の存在を祈る以外に他は無いです。

 

最後の審判というのがキリスト教の世界にはあります。悔いるならば最後に罪はすべて許される、というものです。自死を選びその選択を誤ったと感じなかった者は地獄に行ってもらいます。

 

いつの日か、必ず僕も目の前で命を救えない日が来ます。その時僕にできるのはなんなのか、多分一生の課題でしょう。しかし、考え続けなくてはいけないのだと思います。

 

全く関係のない立場から好きに書いてしまい申し訳ありません。もし不快に思われた方がいらっしゃったらコメントしてください、記事を消去します。